いささか旧聞ですが、下のような記事が朝日新聞に載りました。自分はこういうのに弱くて、目頭が熱くなりました。この記事には続報も多少ありますが、道徳の教科書に載せたいくらいです。
女子サッカー日本代表の横断幕に、ブーイングの中国反省
朝日新聞2007年09月26日08時57分
中国・杭州市でこのほど行われた女子サッカーのワールドカップのドイツ戦で、日本選手が試合後に「ARIGATO 謝謝 CHINA」と書いた横断幕を掲げた行動が、日本にブーイングし続けた中国側に反省の気持ちを呼び起こしている。地元メディアは「中国のブーイングは日本の横断幕に負けた」と観戦マナーを批判している。
17日の試合中、約4万人の観客のほとんどがドイツを応援。試合前の「君が代」斉唱では多くの観客が起立せず、ブーイングも起きた。ドイツが攻めたり、得点したりすると大歓声が起こり、日本は完全にアウェー状態。荒川がけがで交代したときでさえ、日本へのブーイングが響いた。しかし、日本代表が横断幕を掲げると、中国人の一部からも拍手が起きた。 国営新華社通信は20日、「北京五輪でこのような反日感情を持ち込めば、中国人の国際的なイメージを損なう」と論評。反日的な記事が多いとされる全国紙「国際先駆導報」も「日本人は不快な気持ちを乗り越える勇気を見せたが、中国人にはその勇気がなかった」と指摘した。
ネットの掲示板やブログでも議論が沸騰。「日本選手は横断幕を準備しながらブーイングを浴び続け、どんなに悲しかったか。横断幕を見て、中国人として恥ずかしかった」などの意見が掲載された。
スポーツの話ですきなのは棒高跳びの西田、大江の友情のメダルです。下にスポーツ博物館による二人の逸話を引用します。
友情のメダル
西田修平(早稲田大学)と大江季雄(慶應義塾大学)は、お互いに競い合い、日本の棒高跳を世界レベルまで引き上げたよきライバル同士でした。
西田と大江は、オリンピック第11回ベルリン大会(1936年)の陸上競技・棒高跳に出場、5時間にわたる激闘の末、アメリカのメドウスに敗れましたが、二人ともメダル獲得が確定しました。
4m25cmの同記録だった二人は、2位・3位を決めるための決定戦を止めましたが、試技回数の少ない西田が2位、大江が3位とされました。しかし表彰台では、西田は大江を2位の台に立たせています。(年齢順で西田、大江と決めたという説もあります)
帰国後、ベルリンでの激闘の思い出に、二人はお互いの銀メダルと銅メダルを半分に切断してつなぎ合わせました。これが「友情のメダル」です。
その後、大江は、太平洋戦争が始まって間もない1941年12月24日、出征先のフィリピンで27歳の若さで戦死しました。 戦地でもベルリンで使用したスパイクを戦死の瞬間まで肌身離さず持っていたと伝えられています。
西田は戦後、日本陸上競技連盟理事長、日本オリンピック委員会委員などをつとめて陸上競技とスポーツの発展につくし、 1989年にはその功績を記念して国際オリンピック委員会からオリンピック・オーダー銀章が授与されましたが、 1997年4月13日に87歳でなくなりました。
以上ですが、この話は本当に好きな話です。
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