2007年9月30日日曜日

井戸端会議

今日はゴルフ。

朝から雨、それも結構な雨。ゴルフ場まで行って見たら、一緒にプレーする予定の人達が、「出るのぉ?」とやめたそう。ということで、今日は雨で中止ということで、ゴルフ場で30分ばかしお茶をして帰ってきました。



おじさんが30分も話をすると、みなさんにわか政治評論家、経済評論家になり、知っているる噂話に尾ひれをつけてしゃべるしゃべる。裏金から隠し子供問題まで、2チャンネルも真っ青状態でした。

井戸端会議はおばさんだけのものじゃないようです。



ゴルフの大切なマナー(大きなことは言えませんが・・)

雨で中止と思ってもゴルフ場まではちゃんと行きましょう。

2007年9月29日土曜日

床屋名人伝

29日土曜日、日帰りで兵庫医科大学での研修会に行ってきました。

8月の上旬から床屋に行っていなかったのでずいぶん伸びてしまいました。しかし、なんやかんやと時間が無く東京で床屋にいけない状況で困っていたので、無い頭を絞ってアリバイ工作のような仕掛けで床屋に行ってきました。朝早くは家の近くの床屋は開いていないので、より朝早くに自宅を出て、兵庫医大の集合時間の1時間半前に到着して、兵庫医大のある武庫川の商店街の床屋に行ってきました。

ヘアサロンひぐちというのですが、名人でしたね。16歳のとき新潟の村上から関西に出てきて40年以上床屋一筋だそうです。最初は、髪に櫛を入れながら一渡り見て考えていたのでしょうか、どれくらいときかれて、「この前は、8月の上旬にきりました。」これで終わり。植木屋も名人ともなると考えているのが長く、切り出したら早いといいますが、樋口さんもいざ苅り出したら、口では世間話をしながらも、はさみはてきぱき速い。それも、素人のように5ミリずつ苅るのではなく、ばっさり2センチくらいいっぺんに切ってもそれがぴたりと決まっています。髭剃りも何十年と使っているような小刀で一発でそっていきました。久しぶりの名人芸です。写真に写っている人は、名人の弟子みたいな人で名人ではありません。

むかし渥美清の主演の映画かドラマで床屋の名人を目指すのがありました。印象に残っているシーンは、ある日お客が入ってくるなり、目の色が変わり、「お客さん、この前どこで髪を切りましたか?博多でしょう?」「そういえば博多で床屋に行きました。」「そうでしょう、この技は博多の治五郎しかできない。治五郎の次に苅るとなりゃ、下手なことはできないぞ」というシーンでした。名人は髪の毛が伸びても前の床屋の腕がわかるのでしょうか?

自分が経験した名人、その一は新潟大学付属病院前のおばさん。髪を切るのはゆっくり丁寧。一番感激したのは髪を洗うとき、頭皮もさることながら一本一本いつくしむように洗ってくれて気持ちよかった。その二は、30年目の下宿の近所のおじさん、天然パーマの髪質だからということで、かみそりだけで髪を切ってくれました。じょりじょりとほんとうに巧かったです。

 
左:武庫川商店街のヘアサロンヒグチ
右:同じ商店街の「エイセイ薬局」 漢方ですというのがいいですね。電話番号も古い時代のものです。
今は局番は4桁です。空飛ぶ象さんが浴衣を着ているのもいいですね。


  
左:同じ商店街の看板。うわさに白色の矢印がついていますが意味不明
中、右:阪神武庫川駅。改札口まで自転車が通れるのがすごい。
 
兵庫医科大学の全景と1号館と2号館の間の渡り廊下。屋上屋を重ねる。

2007年9月28日金曜日

好きな話

いささか旧聞ですが、下のような記事が朝日新聞に載りました。自分はこういうのに弱くて、目頭が熱くなりました。この記事には続報も多少ありますが、道徳の教科書に載せたいくらいです。

女子サッカー日本代表の横断幕に、ブーイングの中国反省

朝日新聞2007年09月26日08時57分
 中国・杭州市でこのほど行われた女子サッカーのワールドカップのドイツ戦で、日本選手が試合後に「ARIGATO 謝謝 CHINA」と書いた横断幕を掲げた行動が、日本にブーイングし続けた中国側に反省の気持ちを呼び起こしている。地元メディアは「中国のブーイングは日本の横断幕に負けた」と観戦マナーを批判している。

 17日の試合中、約4万人の観客のほとんどがドイツを応援。試合前の「君が代」斉唱では多くの観客が起立せず、ブーイングも起きた。ドイツが攻めたり、得点したりすると大歓声が起こり、日本は完全にアウェー状態。荒川がけがで交代したときでさえ、日本へのブーイングが響いた。しかし、日本代表が横断幕を掲げると、中国人の一部からも拍手が起きた。  国営新華社通信は20日、「北京五輪でこのような反日感情を持ち込めば、中国人の国際的なイメージを損なう」と論評。反日的な記事が多いとされる全国紙「国際先駆導報」も「日本人は不快な気持ちを乗り越える勇気を見せたが、中国人にはその勇気がなかった」と指摘した。
 ネットの掲示板やブログでも議論が沸騰。「日本選手は横断幕を準備しながらブーイングを浴び続け、どんなに悲しかったか。横断幕を見て、中国人として恥ずかしかった」などの意見が掲載された。

スポーツの話ですきなのは棒高跳びの西田、大江の友情のメダルです。下にスポーツ博物館による二人の逸話を引用します


友情のメダル
西田修平(早稲田大学)と大江季雄(慶應義塾大学)は、お互いに競い合い、日本の棒高跳を世界レベルまで引き上げたよきライバル同士でした。

 西田と大江は、オリンピック第11回ベルリン大会(1936年)の陸上競技・棒高跳に出場、5時間にわたる激闘の末、アメリカのメドウスに敗れましたが、二人ともメダル獲得が確定しました。
 4m25cmの同記録だった二人は、2位・3位を決めるための決定戦を止めましたが、試技回数の少ない西田が2位、大江が3位とされました。しかし表彰台では、西田は大江を2位の台に立たせています。(年齢順で西田、大江と決めたという説もあります)
 帰国後、ベルリンでの激闘の思い出に、二人はお互いの銀メダルと銅メダルを半分に切断してつなぎ合わせました。これが「友情のメダル」です。
 その後、大江は、太平洋戦争が始まって間もない1941年12月24日、出征先のフィリピンで27歳の若さで戦死しました。  戦地でもベルリンで使用したスパイクを戦死の瞬間まで肌身離さず持っていたと伝えられています。
 西田は戦後、日本陸上競技連盟理事長、日本オリンピック委員会委員などをつとめて陸上競技とスポーツの発展につくし、 1989年にはその功績を記念して国際オリンピック委員会からオリンピック・オーダー銀章が授与されましたが、 1997年4月13日に87歳でなくなりました。

以上ですが、この話は本当に好きな話です。

2007年9月27日木曜日

萩と長門

山口県の萩市の山間部にある診療所に取材に行ってきました。

吉部郡むつみ村が合併で萩市に編入されたところで中国山地の真ん中にある人口2000人、ほぼ半数が65歳以上の老人という村です。診療所の名前はむつみ診療所(写真)といい、医師1名、その他スタッフ3名、一日の患者40人程度の規模です。皆さん全員が無茶苦茶明るくて、僻地の診療所とは思えないところが特徴でした。

取材のあと、萩と長門をちょろっと見て帰ってきました。



 

 

むつみ診療所。旧むつみ村役場に隣接している。手書きの看板がいいですね。

右:長門の海、遠くの山が白くて近くになるにつれて青くなる水墨画のような景色でした。


  
左:むつみ村の近くの長門峡(ちょうもんきょう)、紅葉の時には天下一品だそうです。

中:どこも彼岸花が満開でした。

右:長門峡の道の駅の朝市。


  

左:むつみ村のお寺の彼岸花

中:お寺の名物「千体地蔵」の様子。

右:千体地蔵堂の概観。人間が一人入れるような大きな桶を改造して千体の地蔵を収めている。



  

左:むつみ村の八千代酒造の玄関。杉玉と、酒米を焚くお釜。

中:むつみ村のコスモス畑、一面のコスモスはすばらしいです。

右:萩市の料亭「あじろ」の名物「一味良御膳」、うにの卵とじ丼。小泉純一郎の命名だそうです。


  

左:高杉晋作の生家。2度目の訪問なのに今度もしまっていた。平日休みはきついです。

中:横にしてみてください。晋作の家の前の道。菊屋横丁というそうな。

右:長門(ながと)の仙崎の金子みすずの生家。本屋さんだったそうな。



 
左:金子みすずの部屋。ちょうど西日が差して芸術的な写真になりました。
中:代表的な詩。鰮はいわしとよみます。
金子みすずは28歳で離婚し、そして自殺しているのですね。

2007年9月26日水曜日

とんでもないこと

大相撲の時津風部屋で、序の口の力士をいじめて死なせたという報道。
これに親方も加害者に入っていたということ。
これはものすごい事件に発展するような気がします。

時津風部屋は、名横綱双葉山が起こした部屋で、名大関豊山が先代の親方でした。
いまの親方はもと双津竜で割と地味な人でした。
この事件でこの部屋もきっとおとりつぶしになるでしょう。
もっと大きくなると、部屋別で稽古する大相撲のやり方そのものが否定されそうです。
外国人力士の台頭などを含め、国技大相撲の危機といえると思います。

引っかかるニュースなので、臨時の感想でした。

嗚呼玉杯に花うけて

友人と酒を飲んでいて、珍しく一高の寮歌を知っていて結構話が盛り上がりました。自分の出た高校では、寮歌大会を催していて、寮歌を覚えてクラス対抗で歌ったので、自分は結構な数の寮歌を覚えています。寮歌を聴くと、高校時代を思い出し、遠くを見る目になっていしまいます。
人気があったのは、東京大学に相当する第一高等学校の「ああ玉杯に」と、地元金沢の第四高等学校の「北の都に」と「南下軍」です。ほかの高校のも大体覚えています。何れも当時の文才のあった学生が作ったもので漢文調で元気が出ます。最近の応援歌よりもはるかに格調が高いと思いますね。著作権の関係もありそうなので一番だけ引用します。

嗚呼(ああ)玉杯に花うけて
緑酒(りょくしゅ)に月の影宿(やど)し
治安の夢に耽(ふけ)りたる
栄華(えいが)の巷(ちまた)低く見て
向ケ岡(むこうがおか)にそそり立つ
五寮の健児(けんじ)意気高し
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/aagyokuhai.html

これに比べて、四高のほうはほとんど誰も知りません。まったく趣向の異なった2曲ですが、何れも味があります。

北の都に秋たけて
吾等二十(はたち)の夢数(かぞ)う
男女(おとこおみな)の棲(す)む国に
二八(にはち)に帰るすべもなし

その術(すべ)なきを謎ならで
盃捨てて歎かんや
酔える心の吾(われ)若し
吾永久(とこしえ)に緑なる
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kitanomiyakoni.html

最後は南下軍。四高が三高(京都)ならびに六高(岡山)との定期戦に出かける際に、南下するのでこの名前があります。とくに柔道部はこの定期戦に気合が入っていたようで、井上靖や読売新聞の創始者の正力松太郎などの活躍が伝わっています。 この間の詳しい事情は下のHPにあります。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~takechan/nankagunzatu.html

南下軍

ただに血を盛る瓶(かめ)ならば
五尺(ごせき)の男児要なきも
高打つ心臓(むね)の陣太鼓(じんだいこ)
霊(たま)の響(ひびき)を伝えつつ
不滅の真理戦闘に
進めと鳴るを如何にせん
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/tadani.html

引用したHPのメロディーはどうも自分が習ったのとは多少違いがあるようですが、これは寮歌の常、各々が自分のが正調と思っています。

2007年9月24日月曜日

インドネシア総括

インドネシアの写真をまとめて紹介します。
人物が映っていないのは、ブログであることを意識してのものです。
写真は今年の2月、8月、9月のものがあります。

  

左 インドネシア大学医学部の正面 古い大理石造りの荘厳たる建物。
中 庶民の足、三輪タクシー
右 旧オランダ総督府 現在は博物館になっている。

  

港に近い古い町並み。荒れ果てているが、オランダの風情がちょっとだけある。
跳ね橋はゴッホの絵を彷彿とさせる。

  

左、中 大学の中の水上レストラン 右 大学の本部棟

  

左 一般病室。特別室はもっときれいですが・・・
中 看護室  右 地方の保健所の調剤室 田舎の診療所のイメージです。


左 ジャカルタの中心街を望む 中 富裕層の住宅街。プールがあったりして・・・
右 ゴルフ場


夜の高速道路の渋滞

2007年9月22日土曜日

帰ってきました

日本に帰国しました。
21日の夜にジャカルタを発ち、1時間半でシンガポールへ、シンガポールを現時時間の11時30分(日本時間0時30分)に出発して成田に7時30分に着きました。前回はおなかを壊していてつらく苦行の夜間飛行でしたが今回は体調もよく快適でした。
映画を見ました。仲間ゆきえ主演の「大奥」というのを最初ちょっと見ようとしたのですが、「江島事件」を取り上げたもので面白くなさそうなので、「生きる」(黒澤明監督、志村喬主演昭和27年)を見ました。昔見た映画ですが、当時の風俗や社会システムなどを楽しみました。今のアフガニスタンが結構この時代に似ているかもしれません。もちろん武器やテロなどありませんが・・・戦後7,8年で日本は良く復興したといまさらながら感動しました。ストーリーは胃がんを宣告されたお役人さんのこと。テーマとしては原始的なものですが、映画の技法としてその当時は斬新なものだったのでしょうね。左卜全がいい演技をしています。

2007年9月21日金曜日

天国と地獄

イスラム教では善行をすると白い天使が肩に止まり、悪行をすると黒い天使が肩に止まるといわれています。死んだときに、白い天使のほうが多いと天国にいけて、黒い天使が多いと地獄に行くそうです。ラマダン期間中は、これが2倍になり、善行をすると2匹の白い天使が、悪行すると2匹の黒い転子が止まることになっているので、ラマダン中はみんなにわか敬虔信者に成ってお祈りなどに精を出します。日本でも一日お参りすると何百日分に相当する日などがありますね。
イスラム教での天国のイメージは、緑豊かな草原だそうです。もともと砂漠でできた宗教だから水の豊かなところが天国なのでしょうね。インドネシアや日本は結構天国に近いかもしれません。日本での天国のイメージはなんでしょうか?お釈迦様の日向ぼっこ?酒池肉林?毎日がゴルフ?

ジョーク 地獄編
1:死んで閻魔大魔王に地獄に行くように決められたけれど、自分で地獄を決めていいことになった。
上から見ると、「賽の河原」「火焔地獄」「針の山」と恐ろしげなものばかり。ひょっと見ると一つだけ受刑者がゆったりしているのがある。肥溜めのプールがありそのプールサイドで受刑者がゆったりしている。これにしようと閻魔様に申し上げて肥溜め地獄に行くことになった。
肥溜め地獄について、プールサイドにタオルでも広げてゆっくりしようとすると、ピーっと笛がなり、「休憩終わり、全員すぐにとびこめぇ!!」

2:ロシアのジョーク
これもまた地獄を選べる状況になったときの話。ひょいっと見るとフルチョッフ元首相とマリリンモンローが抱き合っている。ずーっと抱き合っている地獄のようだ。これならいいとそこに行くことにした。
そこではずーっとフルッチョフ元首相と抱き合うことになった。

KARAOKE

インドネシア最後の夜、全員でミーティングのあと、夜8時ごろから中華料理で大宴会。ひとつの円卓に14人が座り、中華料理をいただきました。あまり日本ではいただけない中華料理ですが美味しく、堪能しました。
そのあと、カラオケに行くことになりました。チームの女性3人も一緒です。部屋の中に階段があるような構造で、3階に案内されました。ラマダン期間でお酒を出しているのがわかると警察の手入れがあって逮捕されるそうで、そのため複雑な構造の3階なのでしょうね。
そこには結構な露出度の女性が20人ばかしおり、好きな女性を選べるシステムでした。好きなタイプの女性を選ぶというのは、結構気が引けるもので、女性を直視できず結局選べませんでした。ほかの方が選んだ女性とならんで座り、水割りを飲みながらカラオケです。
国際協力を目指す皆さん、カラオケで歌が巧いというのは重要な要件です。皆ほんとうに上手です。自分は不調法で、音痴なので歌いませんでしたが、巧い人がほんとうにうらやましいです。
イスラム教も、それなりに崩れており、隣の女性は日本のホステスに負けず劣らずのサービスで、日本語も片ことで大丈夫でした。
国際協力はやはりストレスがたまるのでしょうね、皆大声でストレスを発散するかのように歌っていました。1時ごろまで歌っていました。自分もほんとうに歌いたかったです。インドネシアの女性とのデュエットはきっと良かったと思います。そうそう、写真は撮りました。公開はできませんが、両手に花どころではなく、右側に3人、左側に3人、真ん中に自分がいて、まるでハーレムのような写真を撮ってもらいました。絶対に公開はしませんが、きっと鼻のしたが思い切り長かったと思います。

2007年9月19日水曜日

Guavaジュース


他人のブログに、食事の写真が載っていて、今日はこれを食べましたなどというのがあり、他人の食べたものもなど見たくも無いと思っていましたが、自分のこととなると紹介したくなりました。

インドネシアのホテルのバイキング形式の食事で、今日のプレートです。

オムレツはその場で焼いてくれるので一押しです。美味です。左側の、中国式おかゆとスープはおなかに優しくいいです。あとは結構油濃いものが多いですね。

右上の蛍光色のジュースはギャバジュースです。どんな果物か見たことは無いのですが、色とは裏腹に、桃とマンゴの中間みたいなまろやかな甘いジュースです。気に入って毎日に飲んでいます。

ご飯と海苔と味噌汁のような朝食も可能です。

今日もラマダン、頑張ってみようと思います。

2007年9月18日火曜日

ラマダン



インドネシアの活動第一日目。


インドネシア大学医学部の先生と面談して情報を得るのがほとんどの仕事。




インドネシアは、今、ラマダンの真っ最中です。絶食月のことで、今年は9月13日から10月13日までのようです。絶食といっても、日の出から日の入りまでの間、食事やおやつはもとより、水も飲まないのですが、夜間はその分、結構たくさん食べているようです。


アフガニスタンで見た厳格な人は、昼間は唾も飲まないで吐き出していました。インドネシアは見るところそこそこいい加減かもしれません。異教徒の北村 聖は、普通に日が昇ってから朝ごはんを食べましたが、昼食は抜きで水やコーヒーだけにして見ました。意外と健康にいいかもしれません。


イスラム教徒の人は、日の出前に、しっかりとした食事(晩餐のようなもの)を取り、水も飲み、タバコもすって日の出を迎えます。午後は結構しんどそうで、夕方は早く帰り日の入りを待つようです。日が沈んだら結構重めの食事をしています。


貧乏で食事も取れない人の気持ちを知るためにするというのがもともとの意味だそうですね。




写真はホテルにあったアラビア語のコーランと引き出しの中に、メッカの方向を記した矢印が張ってあったので撮ってみました。矢印の方向に向かってお祈りをするので、勝手に机の方向も変えれませんね。

ジャカルタの夜明け




今日の朝日です。いつもこのようにもやっています。


17階の部屋から見下ろしたホテルのプールとその周辺のスラム街です。


格差社会の縮図ですね。

2007年9月17日月曜日

ミステリー

1時間ほど前に無事にジャカルタのホテルに投宿しました。
日本との時差は2時間。今は17日の午後10時30分くらい。
気温はほぼ日本と同じくらい、少しこっちのほうが乾いているかもしれないです。
***
シンガポールまで飛行時間は6時間くらい。この前は映画を2本見ましたが、今回は1本だけ。日本酒を2本飲んだら爆睡してしまい、ほとんど着く直前に起きました。見た映画は、「東京タワー」という邦画です。オダギリジョーが主演で、助演はゆうきちほ(きじゅきりん)と松たかこ。自分の半生と母の死を描いたストーリーですが、北村 聖は最近自分の母を見送ったばかりのせいか、あまり共感できなかったです。
***
シンガポールで1時間半くらいの待ち合わせでジャカルタいきに乗り継いで、さらに1時間半くらいの飛行時間でジャカルタに着きました。飛行機から見るマラッカ海峡は狭いです。この海峡が日本の命綱とは到底思えないですね。
***
ジャカルタ空港について、入国審査、税関を通過したところに大勢の人が迎えにきています。残念ながら北村 聖の名前を書いたものを持った迎え人が見つからず困っているところへ、北村 聖さんですねと声をかけてくれる人がいて、迎えの人ですか?と聞くとそうですという。車に案内して、車を回してくるといって去ってすぐに戻ってきて駐車違反で挙げられたのでタクシーでホテルに行ってくれという。お金は90万ルピア、それを北村 聖から預かって、止めたタクシーの運転手になにやら交渉して、タクシーに押し込まれて約30分でホテルに着きました。メーターは40万ルピア。なんか損したみたい。
後で、迎えに行った人から北村 聖とは落ち合えなかったという電話があったそうです。これってミステリーですよね。

成田空港のラウンジより







今、インドネシアに向けて、成田空港に来ています。海外に行くときは、たとえラウンジにいてもやはり一種の緊張感があり、のんびりできるものでは無いです。






さて、昨日(16日)のことを。研修会で、コミュニケーションと医師のプロフェッショナリズムについてお話したら、後半のほうが結構受けたようです。プロとしての医師とは何か?
皆さん日ごろ思っていることがあるようで、結構のってくれました。
豊科から帰り4時間かかりました。のんびり帰ってきたこともありますが、それなりの渋滞もありました。帰り道に撮った写真をいくつか載せます。



夕飯は、頂き物の松坂牛のすき焼き。本当においしかった。本物の松坂牛は一味もふた味も違いますね。
深夜に起きてパッキングして7時に自宅を出て9時ごろに出国審査終了です。順調でした。
今日は、上の娘が、ロンドンに遊びに行くということで、一緒の車で来たのですが、少しは親子の会話があると思ったら、最初から最後まで後部座席で寝ていて会話は全くなし。






1120のシンガポール航空でシンガポールへ行って、乗り換えて、ジャカルタには7時ごろに着きそうです。

2007年9月16日日曜日

朝の露天風呂から常念岳


5時に起きて朝風呂につかりました。露天風呂からは朝日で赤くなった常念岳が書割のように真正面に見える絶景でした。

2007年9月15日土曜日

いしあたま

いま、信州は安曇野のほりでーゆー四季の里という研修施設におります。
土曜日から月曜日にかけて開かれる研修指導医研修会に講師としてきております。東京から中央道を通って車で着ました。途中事故で1時間分渋滞したので、4時間近くドライブをしたことになります。それなりに楽しかったです。
講演は明日の午前中なので今日はゆっくりとお風呂にでも入りましょう。

今日の午前中、全国医学部長会議の専門委員会に出てきました。大きな話題は、メディカルスクールについて。一部の著明な医学教育者と、一部の政治・行政の力と、その他のもろもろの意見として、メディカルスクール構想がにわかに現実味を帯びてきています。メディカルスクールとは、今の高校を卒業してすぐに医学部に入学して6年間の教育を受けるのではなく、何学部でもいいから4年間の大学を卒業した後に医学部に入学して4年間の教育の後に医師になるものです。米国やカナダの制度で、欧州では取り入れていません。利点は、成熟した人格のものが医学生になる、患者中心の医療をできるなどといわれていますが、一方欠点としてモラトリアムの者や、金の亡者など、ゆがんだモチベーションのものが入ってくるなどがあるといわれています。今の日本の環境で、メディカルスクールは危険かなぁと個人的には思いますが・・・

今日の迷言
自分のことしか考えれない医者のことを医師頭というそうです。

夢のある学問

今日、理学部天文学教室の先生方がお見えになり、「夢のある学問」の話をされました。チリの北部のほうの、標高5600mのところに東大の天文台を作るのだそうです。空気がきれいで、夜、普通に写真を撮っただけでも天の川が見えるそうです。
その望遠鏡を使って、宇宙の遠くのものを見る予定だそうです。それを見るとなんの役に立つのでしょうかなどといった野暮な質問はしませんでした。
夢のある学問はいいですね。
ちなみに、相談の内容は、5600mの高地であれば、働くものがいろいろ身体障害を起こすであろうから、それをモニターする仕掛けを作るようにということでした。
チリの空を見ることができるのでしたらほんとうに何でもやってあげたくなります。

午後は教育病院としての大学病院のあり方を検討する委員会。抽象論が踊った委員会でした。
PBLの2回目の授業。脳死は人の死か否かというディベートで盛り上がった。とはいえ、学生諸君はほとんど臨終の場に立ち会ったことはなさそう。

今日のジョーク
「12月24日生まれなので、私の名前はと書いてきよしと読みます。」
三太(さんた)でなくて良かったですね。」

2007年9月13日木曜日

新しいことに挑戦


同じことの繰り返しの日々を反省し、自分でどこまでやれるのか自信はないけれど、ブログというものに挑戦しようと思い立ちました。


今日は大阪の看護サミットで「実現可能な看護師の臨床研修制度」という内容でシンポジストを勤めました。1年くらいの臨床研修を義務付けたらいいと思います。そのためにはまず第一に臨床研修指導者の養成が必要と思います。


今日のジョーク・名言・迷言

本当のリーダーはどんなにつらくても投げ出さないこと、

大将は負けても逃げてはだめだ

シンゾウには毛が生えていなかった。

シンゾウは胃腸が悪かった。


写真:花火、去年の横浜。今年は中止になりましたね。